【雪椿の庭 9】
その夜遅く、健五郎が城に戻ってきた。城内の様子に気を配っていた兵衛は、すぐさまそのことを幹丸に告げた。だが、幹丸はすでに覚悟を決めていることもあり、ただ
「そうか」
と、うなずいただけで、そのまま兵衛を下がらせた。
やがて、ゆっくりとした足音が近づいてきた。だが、いつもと異なり、健五郎は幹丸の部屋の前で立ち止った後も、なかなか声をかけては来なかった。そのためらいに健五郎の幹丸への思いやりが感じられて、幹丸の口元に微かな笑みを与えた。
『健五郎様……』
幹丸は一度嬉しそうに目を閉じて微笑んだ後、ゆっくりと目を開けた。その瞳に一つの決意を宿して。
「健五郎様ですか? どうぞ」
部屋の外でためらっている健五郎にきっかけを与える為に、幹丸は閉じられた障子に向かって声をかけた。
「……うむ。失礼する」
普段より幾分低い声がし、健五郎が静かに障子を開けた。そして、入り口に佇んだまま幹丸を見下ろして
「夜分に申し訳ないが、どうしても今宵のうちに話しておかねばならぬことがある故」
と告げた。
「はい」
幹丸はじっと健五郎の顔を見つめたままうなずいた。
部屋に入ると、健五郎は幹丸の真正面に膝を正して座り、懐から一通の書状といくばくかの金子の入った袋を取り出した。そして、幹丸の腕を掴み、それらを受け取らせると、静かな声で言った。
「これを……この書状と金子を持って、今すぐこの城から落ちられよ」
だが、幹丸はゆっくりと首を振って、手渡された書状と金子を健五郎の膝近くに押し返した。
「いえ……。私はどこへも逃れるつもりはありません。……せっかくのお心遣いを申し訳ございません」
「幹丸殿!」
戻る 次へ